今週の倫理 掲載いたします。
茨城県の水戸市に、佐藤宗明という歯科医がいました。この佐藤氏は、知る人ぞ知る名医でした。О氏は若い頃、その佐藤氏の家に出入りをしていて、佐藤氏よりいろいろと教えを受けていたのです。
ある日のこと、О氏は放っておいた虫歯が痛み出して、食事も眠ることも出来なくなりました。とうとう我慢できず、佐藤氏のところに駆け込んだのです。О氏は「先生、おまかせします。何本でも抜いてください」と叫びました。
佐藤氏により手際よく抜歯の処置を受けると、あれほど騒いでいた痛みが嘘のように引いたのです。強烈な痛みが去り、身も心もスッキリとしたО氏は、「あーあ、楽になった」と思わず声を発しました。
そんなО氏を見ながら、佐藤氏は厳しい表情で「あなたは普段、多くの人に純粋倫理の話をしているが、自らの実践は今ひとつだね」と言ったのです。О氏には、その言葉の意味がすぐには理解できませんでした。
佐藤氏はさらに話を続けました。
「私は永年この地で歯科医院をやらせていただき、数多くの人の歯を治療してきた。抜歯の経験も数え切れないほどある。その数多くいる患者さんの中で、ただ一人、忘れ得ぬ人がいる。その人は抜いた歯に深々と頭を垂れ、『なんと私は親不孝者であろうか。大事に使えば一生使える丈夫な歯を両親より頂きながら、自分のワガママのために、このように抜かなければならなくなった。本当に申し訳ない』と詫びたのである」
そして「その人物に比べ、君はいったい何だ。あー楽になったと、その程度の心境なのか」と指摘したのです。
О氏は自分の至らなさを恥じるとともに、世の中には想像を絶するような人がいるものだと思いました。今まで自分は、何でも出来ている、解っているという慢心がどこかにあったが、本当は何もできていない、何も解っていないということを、痛烈に思い知らされたのです。
何事においても、「自分はできている」と錯覚しているところが私たちにはあります。とくに身近なものほど「当たり前」と思っている節があります。口では両親に対して感恩感謝の気持ちを持っていると言いつつ、実際にやっていることはお粗末極まりないレベルです。
物が見える、好きな所へ自由に歩いていける、おいしく食事ができる等々、どれを取っても自分で創ったものは何ひとつとしてないのです。すべて授かりものなのです。自分だけの力で生きてきたと思い込んでいる人間が、あまりにも多くこの世にはいます。
授かり物であれば、もっと心を込めて大切に扱わなければなりません。見落としているところがないかどうか、もう一度、身近なところを振り返ってみましょう。そして小さな気づきを大切にして、できることから取り組んで見ましょう。必ずや、今までとは少々違う世界が拓けてくるはずです。
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コメント
台風の影響はありませんでしたか?子供も学校が始まりじぶんの時間が少しもてるようになりました。
投稿者: T.y | 2007年09月08日 14:55
健康が最たるもので
普段は当たり前にすごしてますが
具合が悪くなると普通に動けることのすばらしいことを
わからせられます。
不自由を感じる前から常に
自由でいることを感謝できる
自分でいたいと思います。
投稿者: Anonymous | 2007年09月10日 09:05
中心が秋田市を通過したにもかかわらず、風も雨もほとんどありませんでした。災害の少ないところです。わが町は。
匿名様、コメントありがとうございます。上には上がいるもので、人は謙虚さと感謝の気持ちを忘れてはなりませぬ。それがついつい忘れるんですね。
投稿者: はた | 2007年09月10日 10:13