親の躾

おはようございます。今年の夏は朝から晩まで蝉が良く鳴きます。ようやく夏らしくなりました。
先日、女房としたの子供と3人でリゾート白神で、鯵ヶ沢に一泊してまいりました。帰りも白神で帰ったのですが、隣のボックスの家族がやかましくて、せっかくの列車の旅がだいなしでした。小学生が二人ひっきりなしに走り回り、親と思われる30代の女性と、おばあちゃんと思われる60代の女性、子供と一緒にテンション上げて馬鹿笑いの2時間でした。この馬鹿親は周りの迷惑をなんと思っているのだろうと頭にきて、がつーんと注意しようとしたら、女房様が「気まずくなるからやめれ」といいます。気まずくなるとかの問題ではないだろうと反論した私でしたが、結局注意はしませんでした。
先日のMSの講師の小林 孝哉さんがいっておりました。日本の戦前、戦後の大きな違いは家庭が崩壊したことだと。躾とは強制してでも子におしえねばならぬこと。叱るとは励ましの心で相手を教え諭すこと。今は子供を叱ること躾けることのめんどうを放棄した親がほとんど。大人も若者を叱る面倒を放棄している。家庭で躾を受けていない我侭ほうだいの子供らはの子供部屋は無法地帯。学校の教室は子供部屋の延長になるわけで、手に負えなくなるのは当たり前のことだとおっしゃっておりました。
人は世のため、人のために役立つことが生きていく目的であり、人様に迷惑をかけず生きることはごく当たり前のことだともおっしゃておりました。

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コメント

まったくその通り。よく我慢しましたね。私だったら、イエローカードを即座に出していたことでしょう。
その家族には、ぜひ、国家の品格をお読みいただきたいと思います。

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