おはようございます。急に寒くなりましたね。今朝は冬用のコートを引っ張り出しました。
さて今日は今週の倫理を掲載します。
「沖縄県那覇新都心倫理法人会」に所属する㈱ラシーマ代表取締役の島袋勉氏。妹の栗田智美氏と共著の『義足のランナー』(文芸社)をはじめ、講演、マスコミ等で、自身の体験を広く語っています。
氏は二十歳で会社を創業し、順調に会社を成長させました。ところが二〇〇一年、三十八歳の時に、アメリカのIT事業視察の帰り道で事故にあったのです。両下腿切断と頭部挫傷による高次脳機能障害(記憶障害)を負いました。
その日から二十カ月の長期入院。その時の氏の目標は、少しでも早く社会に復帰することでした。「自分には果たさなければならない責任がある」と言い、これまで支援してくれた周囲の方々に、迷惑をかけることはしたくないという自覚が強かったのです。
何回かの手術をし、リハビリも順調に進んでいたある日、会社が倒産の危機にあることを知った氏は、あと一度手術する状態であったにもかかわらず急遽退院し、沖縄に戻ります。
記憶障害のため、会社の状況や社員とのやりとりをすべてメモに取り、社員に対する指示もメモを用いました。記憶を回復させる方法が無いと病院の先生から言われていましたが、記憶術の本を買い、記憶力を高めることに努力を傾け、二十分前の出来事を忘れる状態だったのが、退院から一年で、一日の出来事を夕方に記録すれば大丈夫という段階にまで回復していきました。
会社のほうもそれと並行して、倒産の心配がなくなる状態まで失地回復。島袋氏にとって、一連の出来事は「一番苦手なことができたら、他のことは何でもできるんじゃないか」という自信につながったのです。
記憶障害と共に、両足に義足を履いて長時間歩くことも苦しいことでした。しかし「苦手なことから逃げないための練習」として、なんとマラソンに取り組み始めます。三キロの「中部トリムマラソン」で自信をつけ、フルマラソンの「ホノルルマラソン」も見事完走。現在でも、一カ月に一~二回の割合でマラソンを走り続けているといいます。
そこに至った心身の変化を「現状を受け入れるポイント」として氏は語ります。
①もう自分の足は二度と甦ってこないということを自覚し、「足があれば」という言葉を使わない。
②苦難に出会っても、決して障害のせいにはしない。
③障害を隠さない。自身の持つ障害を周囲に伝えることは非常に勇気の要ること。しかしそれを伝えなければ、前に進めない、現状を受け入れたことにならないと思った氏は、すべてオープンにするようにしたということです。
現状を受け入れ、前向きに進もうとする人が一人いるだけで、どれだけ多くの人の心に炎を灯すことでしょう。挑戦は自分を変えると共に、周囲をも変えます。氏のあくなき挑戦はまだまだ続きます。皆さんの挑戦はもう始まっていますか?
(参考資料『島袋勉氏講述録』養心の会発行)
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