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あれを見よ 深山の桜咲きにけり
真心尽くせ 人知らずとも
松原泰道(南無の会会長)
『致知』4月号に松原泰道先生の記事を掲載する運びとなり、
執筆も終盤に差し掛かった某日、
表紙の撮影のために先生の龍源寺を訪ねました。
写真撮影も終わって、一息ついた時、ふと洩らされた言葉……。
「この年になるとね、産みの母が恋しい」
松原先生は幼い頃に本当のお母さまを亡くされ、
義理のお母さまに育てられました。
(その義理のお母さんから、長い間、苦しめられたそうです)
数えで102歳を迎えられた松原先生が、
顔も覚えていない産みのお母さんが恋しいと聞いて、
なぜかわからないけど涙が止まらなくなりました。
そして帰社し、記事の終盤に
この句にまつわるエピソードを書きました。
先生が早稲田大学を卒業した直後、
同級生たちと箱根へ無銭旅行をした時のことです。
先生が何気なくもたれかかった碑に刻まれていたのが、
この句だったといいます。
その時は昭和恐慌の真っただ中。
就職もままならなかった仲間たちと、
「いい句を教わったな。どんな苦境にあっても、
自分たちは人をだましたり、苦しめたり、
要領のいい生き方はやめような。
深山に咲いた桜のように、
誰が見てくれようとくれなかろうと、
ただただ真心を尽くしていこう」
と誓い合ったといいます。
このエピソードは先生がよく用いられるお話で、
私もこれまで何度か記事で読んだり、
直接お聞きしたことがありました。
しかしこの日は、なんだか心がジーンとして、
やっぱり涙が止まらなくなりました。
102歳の禅の名僧・松原泰道先生のもとには、
きっとたくさんの人たちが
教えを請いに訪ねているのだろうと思います。
しかし先生の心の中には、「おい、松原」と
呼び合える仲間たちと誓った情景が
何年たっても色あせることなく残っているんだ――。
そう思ったのです。
人は年齢を重ねると、肩書がついたり
責任を持たなければならない対象が増えて、
たぶんそれが大人になることなのかなと思います。
しかし、だからこそ無邪気に母親に甘えていた頃や、
何の気兼ねもなく肩をたたき合った
仲間と過ごした日々が恋しくなるのだろうと感じました。
「五人の友達でしたが、いまは一人もおりません。
その五人とも、誰一人後ろ指を指されることなく、
人生を終わりました」
私には、両親はもちろん、友人すべてに旅立たれた寂寥感は
とても想像がつきません。
しかし、それでもなお
「私も間もなく消えていく身ではありますけれども、
きょうこの時に、真心を込めて生涯を
終わっていきたいと皆様にお約束します」
と、毎日を丁寧に生きる松原先生の姿に深い感動を
覚えずにはいられませんでした。
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